炒飯に酢



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ふとんを春用に衣替え



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乙川優三郎『R.S.ヴィラセニョール』読了
日本に暮らしながら、フィリピン流の生き方を貫く父。
房総半島に染色工房を構え、母の国の伝統に立ち向かう娘。
著者がさらに掘り下げた民族と家族、工芸の世界。
内容(「BOOK」データベースより)
半分
本書はフィリピン人の父と、
その娘であり日本人とのメスティソ(混血児)、
二人のR.S.ヴィラセニョールの物語。
時代も国境も越えた人々の想いに、
ただただ呆然とするしかありませんでした。
秀作。
内容はバッサリ略。暫定ですが今年の一番です。
さらには一年はまだ2/3もありますが、
それでも3本の指から落ちることは無いと思います。
ファンには問答無用でお勧め。
何色にも染める事が出来ない血
染めることを生業とする染色家
そして
色の混じったメスティソ
疑問点も少なくありません。
フィリピンの歴史(家族の物語)と
染色に邁進する女性の二つが主な題材だと思いますが、
やや乖離した印象を受けます。
また琳派の根津は(作品に対して)やや冗長にも思えるし、
ラストももう少し欲しいのが正直な処。
しかし
八割方、満足だろう、二割の悔いなら誰にでもある(本文より)
と叔父のフェルの述懐にある様に、
完璧なモノなんてないし、求めても意味が無いんですよね。
本書にあるギボスムーンは ”半端な半分” を象徴しており、
作品に流れるある種の ”未全” を良く顕していると感じました。
また僕は純粋な日本人だけれど、
ギボスムーンは誰の上にでもあること(当て嵌まること)。
二人のR.S.ヴィラセニョールに(勘違いでも)寄り添えたことで
気が付けた様に感じます。
蛇足で僕の好きな詩に「ハーフムーン」と言う一編があります。
大切な詩なので多くを控えますが、
「半分」と「月」をキーワードにこの詩を思い浮かべてしまいました。
もう作者の詩人が元気でいるのかさえ判らないけれど、
人生の一時期、彼女が僕の半分であった幸運を
たまに想います。
房総半島に染色工房を構え、母の国の伝統に立ち向かう娘。
著者がさらに掘り下げた民族と家族、工芸の世界。
内容(「BOOK」データベースより)
半分
本書はフィリピン人の父と、
その娘であり日本人とのメスティソ(混血児)、
二人のR.S.ヴィラセニョールの物語。
時代も国境も越えた人々の想いに、
ただただ呆然とするしかありませんでした。
秀作。
内容はバッサリ略。暫定ですが今年の一番です。
さらには一年はまだ2/3もありますが、
それでも3本の指から落ちることは無いと思います。
ファンには問答無用でお勧め。
何色にも染める事が出来ない血
染めることを生業とする染色家
そして
色の混じったメスティソ
疑問点も少なくありません。
フィリピンの歴史(家族の物語)と
染色に邁進する女性の二つが主な題材だと思いますが、
やや乖離した印象を受けます。
また琳派の根津は(作品に対して)やや冗長にも思えるし、
ラストももう少し欲しいのが正直な処。
しかし
八割方、満足だろう、二割の悔いなら誰にでもある(本文より)
と叔父のフェルの述懐にある様に、
完璧なモノなんてないし、求めても意味が無いんですよね。
本書にあるギボスムーンは ”半端な半分” を象徴しており、
作品に流れるある種の ”未全” を良く顕していると感じました。
また僕は純粋な日本人だけれど、
ギボスムーンは誰の上にでもあること(当て嵌まること)。
二人のR.S.ヴィラセニョールに(勘違いでも)寄り添えたことで
気が付けた様に感じます。
蛇足で僕の好きな詩に「ハーフムーン」と言う一編があります。
大切な詩なので多くを控えますが、
「半分」と「月」をキーワードにこの詩を思い浮かべてしまいました。
もう作者の詩人が元気でいるのかさえ判らないけれど、
人生の一時期、彼女が僕の半分であった幸運を
たまに想います。



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アルコール依存症、断酒から「減酒」へ新外来
詳細はコチラ。
耳を疑いました。
けれど設置されたのはアルコール依存症の権威、
久里浜医療センターとの事です。
断酒する以外に術は無い。
僕達は(久里浜を筆頭とする)医療機関から
節酒(減酒)はおろか、将来の飲酒を含む禁酒さえ、
固く固く戒められているのだけれど。
回復への選択肢を増やすこの朗報。
なのにモヤモヤが消えないのは何故だろう。
耳を疑いました。
けれど設置されたのはアルコール依存症の権威、
久里浜医療センターとの事です。
断酒する以外に術は無い。
僕達は(久里浜を筆頭とする)医療機関から
節酒(減酒)はおろか、将来の飲酒を含む禁酒さえ、
固く固く戒められているのだけれど。
回復への選択肢を増やすこの朗報。
なのにモヤモヤが消えないのは何故だろう。



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東野圭吾『雪煙チェイス』読了
殺人の容疑をかけられた大学生の脇坂竜実。
彼のアリバイを証明できる唯一の人物―
正体不明の美人スノーボーダーを捜しに、
竜実は日本屈指のスキー場に向かった。
それを追うのは「本庁より先に捕らえろ」と命じられた
所轄の刑事・小杉。村の人々も巻き込み、
広大なゲレンデを舞台に予測不能のチェイスが始まる!
どんでん返し連続の痛快ノンストップ・サスペンス。
内容(「BOOK」データベースより)
緩斜面。
本書は雪山シリーズの第三弾(前作はコチラ)。
著者お得意のゲレンデ物ではありますが、
今回も評価するポイントが見つけられません。
内容はバッサリ略で一言。
シリーズを打ち切るべきではないでしょうか。
「いきなり文庫」シリーズは苦境の続く出版業界において、
一石を投じたと思います。
そのチャレンジ自体には賞賛を贈りますが、
残念ながら肝心の作品(内容)が伴っていません。
これ以上のブランド毀損を防ぐ為にも、
戦略的撤退を提案します。
話を戻して、本作も致命的な欠点はありませんが、
ストーリー、設定、人物、全てにおいて退屈です。
いっそ崖から落ちるならまだスリリング?ですが、
コブもキッカーもなく延々と緩斜面が続くだけ。
こんなゲレンデにリピータがあるとは思えません。
蛇足でもんじゃ焼きについて。
作中、『女神』探しに付き合う波川は
一件が片付いたら「スペシャル豚キムチもんじゃ」を
奢るように要求します。それに対して竜実は、
さらにベビースターをトッピングでつけると応えるのですが……。
上から目線で誠に恐縮ではありますが、
もんじゃ焼きの具は一つだけ
ではないでしょうか(笑)
ざる蕎麦を少ししか汁につけないのと同じく、
やせ我慢?が東京っ子の心意気です!
彼のアリバイを証明できる唯一の人物―
正体不明の美人スノーボーダーを捜しに、
竜実は日本屈指のスキー場に向かった。
それを追うのは「本庁より先に捕らえろ」と命じられた
所轄の刑事・小杉。村の人々も巻き込み、
広大なゲレンデを舞台に予測不能のチェイスが始まる!
どんでん返し連続の痛快ノンストップ・サスペンス。
内容(「BOOK」データベースより)
緩斜面。
本書は雪山シリーズの第三弾(前作はコチラ)。
著者お得意のゲレンデ物ではありますが、
今回も評価するポイントが見つけられません。
内容はバッサリ略で一言。
シリーズを打ち切るべきではないでしょうか。
「いきなり文庫」シリーズは苦境の続く出版業界において、
一石を投じたと思います。
そのチャレンジ自体には賞賛を贈りますが、
残念ながら肝心の作品(内容)が伴っていません。
これ以上のブランド毀損を防ぐ為にも、
戦略的撤退を提案します。
話を戻して、本作も致命的な欠点はありませんが、
ストーリー、設定、人物、全てにおいて退屈です。
いっそ崖から落ちるならまだスリリング?ですが、
コブもキッカーもなく延々と緩斜面が続くだけ。
こんなゲレンデにリピータがあるとは思えません。
蛇足でもんじゃ焼きについて。
作中、『女神』探しに付き合う波川は
一件が片付いたら「スペシャル豚キムチもんじゃ」を
奢るように要求します。それに対して竜実は、
さらにベビースターをトッピングでつけると応えるのですが……。
上から目線で誠に恐縮ではありますが、
もんじゃ焼きの具は一つだけ
ではないでしょうか(笑)
ざる蕎麦を少ししか汁につけないのと同じく、
やせ我慢?が東京っ子の心意気です!



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苦手です



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村上春樹『バビロンに帰る―ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック〈2〉』読了
村上春樹が愛してやまないフィッツジェラルドの世界を紹介した最新刊。
訳し下ろしを含む短篇5篇に、ゆかりの地を訪ねてのエッセイ
「スコット・フィッツジェラルドの幻影」を付す。
内容(「MARC」データベースより)
転落の理由
本書は村上春樹翻訳によるアメリカの小説家、
F・スコット・フィッツジェラルドの5つの短編集。
堕ちた男達に対し、背反する二つの眼差しがありました。
没落した旧家の末裔
結婚式直前の大恐慌
そして
アルコール中毒(依存症)
主人公はいずれも栄華から零落した者達。
中には先祖がそうだっただけの者もいるし、
同情の余地のある者もいる。
けれどその多くが自分に甘すぎた様な気がします。
上手く行っている時には難しいのかも知れないけれど、
転落は調子に乗り過ぎた結果ではないでしょうか。
ましてや増長の挙句、
アルコールに溺れたのは自業自得でしかありません。
その結果、愛する娘を失ったり(取り戻せなかったり)
あるいは自分の命を失う事になったとしても、
ある意味で仕方が無いと思ってしまいました。
自分でも冷たい奴だと思うのだけれど。
ただ作品によってはラストに希望があったり、
絶望しか無かったりと一貫性がありません。
それは著者自身のアルコール問題を反映した
心の葛藤の顕れなのかも知れませんね。
そんなどうしようもなく人間臭いところに、
僕も共感してしまいました。
因みに村上春樹さんって
アルコール依存症の作家が好きなんですかね?
同じ翻訳を手掛けるレイモンド・カーヴァーもそうだし。
だからと言って感慨があるわけでは無いけれど、
その親和性みたいなモノが、ちょっと気になります。
さらに蛇足で僕のお勧めは『ジェリービーン』。
禁酒法時代のパーティの様子も良かったし、
何より主人公・ジムの(ジェリービーンらしからぬ)
固い決意に胸を打たれました。
彼が ”まともな男(ジェントルマン)” になって帰ってくること
信じて疑いません。
訳し下ろしを含む短篇5篇に、ゆかりの地を訪ねてのエッセイ
「スコット・フィッツジェラルドの幻影」を付す。
内容(「MARC」データベースより)
転落の理由
本書は村上春樹翻訳によるアメリカの小説家、
F・スコット・フィッツジェラルドの5つの短編集。
堕ちた男達に対し、背反する二つの眼差しがありました。
没落した旧家の末裔
結婚式直前の大恐慌
そして
アルコール中毒(依存症)
主人公はいずれも栄華から零落した者達。
中には先祖がそうだっただけの者もいるし、
同情の余地のある者もいる。
けれどその多くが自分に甘すぎた様な気がします。
上手く行っている時には難しいのかも知れないけれど、
転落は調子に乗り過ぎた結果ではないでしょうか。
ましてや増長の挙句、
アルコールに溺れたのは自業自得でしかありません。
その結果、愛する娘を失ったり(取り戻せなかったり)
あるいは自分の命を失う事になったとしても、
ある意味で仕方が無いと思ってしまいました。
自分でも冷たい奴だと思うのだけれど。
ただ作品によってはラストに希望があったり、
絶望しか無かったりと一貫性がありません。
それは著者自身のアルコール問題を反映した
心の葛藤の顕れなのかも知れませんね。
そんなどうしようもなく人間臭いところに、
僕も共感してしまいました。
因みに村上春樹さんって
アルコール依存症の作家が好きなんですかね?
同じ翻訳を手掛けるレイモンド・カーヴァーもそうだし。
だからと言って感慨があるわけでは無いけれど、
その親和性みたいなモノが、ちょっと気になります。
さらに蛇足で僕のお勧めは『ジェリービーン』。
禁酒法時代のパーティの様子も良かったし、
何より主人公・ジムの(ジェリービーンらしからぬ)
固い決意に胸を打たれました。
彼が ”まともな男(ジェントルマン)” になって帰ってくること
信じて疑いません。



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教育的指導



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【2年目】福島のお米が届きました 4/6回目



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伊集院静『さよならの力 大人の流儀7』読了
去りゆくものに微笑みを。
切ない思いも悲しみも、やがては消える。
季節は移ろい、そして新しい人とまた出逢う。
内容(「BOOK」データベースより)
次善の策。
本書は『大人の流儀』シリーズの第7弾(その他はコチラ→1,2,3,4,5,6,7,8)
「さよなら」の中でも主に死別を扱っており、
決して軽くはありませんが、踏み出す勇気を後押しします。
傷付いた人の背中をなでるように、そっと。
佳作。
震災による犠牲者
反目する父
16年間、家族だった愛犬
目新しさは殆どありません。
何度も語られているし、主張も変わらない。
なので本書に貫かれてしまったのは、
多分に受け手(僕)の心模様にあったのでしょう。
それをタイミングと言ってしまえば簡単だけれど、
それでも救われた(気持ちが軽くなった)のも確かです。
また「さよならの力」と言ったって、所詮は強がりだと思うし、
そんな力は要らないからアイツを返せ!と今でも思います。
けれど、それでも僕達は生きて行かねばならないんですよね。
「さよならの力」は次善の策であり、悲しい現実解ではあるけれど、
生者が死者に行える、最善の礼儀ではないでしょうか。
最後に故人を悼む行為について。
少し長い引用を失礼します。
私は若いときから長く、神の存在を否定して生きてきた。
それが今は、神社や寺院を通る時も祈るようにしている。
時間があれば手を合わせる。今でも神の存在に疑問はあるが、
祈ることは別のものであるとして、神殿、御堂の前に立つ。
(本文より)
詳細は本書をご確認下さい。
ただ、どうしても神様を信じることが出来ない愚かな僕でも、
頭を垂れて良い。そう肯定して貰えた様な気がしました。
意見の違いも多数ありますが、やっぱり僕は著者の心根に、
どうしようもなく惹かれてしまいます。
切ない思いも悲しみも、やがては消える。
季節は移ろい、そして新しい人とまた出逢う。
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次善の策。
本書は『大人の流儀』シリーズの第7弾(その他はコチラ→1,2,3,4,5,6,7,8)
「さよなら」の中でも主に死別を扱っており、
決して軽くはありませんが、踏み出す勇気を後押しします。
傷付いた人の背中をなでるように、そっと。
佳作。
震災による犠牲者
反目する父
16年間、家族だった愛犬
目新しさは殆どありません。
何度も語られているし、主張も変わらない。
なので本書に貫かれてしまったのは、
多分に受け手(僕)の心模様にあったのでしょう。
それをタイミングと言ってしまえば簡単だけれど、
それでも救われた(気持ちが軽くなった)のも確かです。
また「さよならの力」と言ったって、所詮は強がりだと思うし、
そんな力は要らないからアイツを返せ!と今でも思います。
けれど、それでも僕達は生きて行かねばならないんですよね。
「さよならの力」は次善の策であり、悲しい現実解ではあるけれど、
生者が死者に行える、最善の礼儀ではないでしょうか。
最後に故人を悼む行為について。
少し長い引用を失礼します。
私は若いときから長く、神の存在を否定して生きてきた。
それが今は、神社や寺院を通る時も祈るようにしている。
時間があれば手を合わせる。今でも神の存在に疑問はあるが、
祈ることは別のものであるとして、神殿、御堂の前に立つ。
(本文より)
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ただ、どうしても神様を信じることが出来ない愚かな僕でも、
頭を垂れて良い。そう肯定して貰えた様な気がしました。
意見の違いも多数ありますが、やっぱり僕は著者の心根に、
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